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【対談】創作審神者・夢審神者と「自己投影」

《導入》

2015年1月にサービスを開始したブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』は、プレイヤーが審神者(さにわ)と呼ばれる能力者となり、刀剣から呼び覚ました付喪神・刀剣男士とともに敵と戦いをくりひろげる刀剣育成シミュレーションゲームです。

キャラクターどうしのカップリング創作が女性向け二次創作を席巻する現在にあって、刀剣乱舞の二次創作はキャラクターどうしのカップリングの他にも、ゲーム内に登場しながら無個性な審神者の設定を書き手が自由に創作し、オリジナルキャラクターとして描いた作品が多く生みだされるという、類のない特徴的な流行が見受けられます。

この「審神者をめぐる二次創作」の流行は、夢創作ともけっして無関係ではありません。むしろ刀剣乱舞における夢創作の位置づけを検討することは、刀剣乱舞という一ジャンルにとどまらず、夢創作そのものを定義するにあたっても大きなヒントを与えてくれるはずです。

そこで今回は刀剣乱舞の二次創作界隈における「審神者をめぐる二次創作」のふたつの創作形態、「創作審神者」と「夢審神者」の住み分けの問題を中心に据え、夢創作の定義について考えてみました。

対談の中心にあるテーマは、夢創作の定義をほんとうに「書き手の自己投影」に求められるのか?です。

また、より分かりやすく、手軽に楽しんでいただけるように、今回は図なども交えてWEB対談の形式にまとめています。「夢」と名のつく二次創作を考えるにあたって、読んでいただいた方の考察の一助になりましたら幸いです。

目次

1,「設定がないことが公式設定」の審神者の面白さ

梨々:「ゆめこうさつぶ!」としてはとっても久しぶりの活動らしい活動なわけだけど、今回とりあげるジャンルはブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-(以下、刀剣乱舞)」です。

千ゐ:3ヶ月前に叩き台をPrivatter(Privatter:女審神者と夢小説)に上げたけど、ようやく…(笑)。にしても、とにかく流行っているね。

梨々:すごい勢いだよね!自分も初めてブラウザゲームに挑戦してみたんだけど、すっかりハマってる。

千ゐ:私はまったくプレイする気がなかったんだけど、たまたま事前登録のページを見る機会があって、その時に大好きなイラストレーターさんがキャラデザを担当していらっしゃることが判明して、そのまま事前登録ボタン押してました。だからいわゆる初日勢なんだけど、いまだに小狐丸がいないんだ~!つらい!

梨々:私は3月のサーバー開放から。特に目当てのキャラはいなかったけど育てているうちに愛着が湧いてきて今や推し刀だけで部隊が作れてしまいそう。みんなかわいい。プレイのきっかけは、まさに千ゐさんにすすめられてだったような…(笑)。それも、キャラがいい!とかじゃなくて、審神者って存在が面白い!みたいなプレゼンにつられてだった。

千ゐ:プレゼンした!(笑)刀剣乱舞はゲームとして面白いのはもちろん、「審神者」という存在が持つ構造も興味深いから、一緒に考えたら面白そうだなって思って。審神者って、よくあるゲームの主人公みたいに姿が出てきたり、発言したりしないのに、それでもゲーム内(原作内)にはちゃんと存在している。もうそれだけで特殊。面白い。

梨々:あんまりゲームに明るくないんだけど、プレイヤーの分身となる存在の設定がこんなにも明かされていないのはやっぱり珍しいのかな?審神者は性別すら確定してないんだよね。

千ゐ:私は初ブラウザゲームが「艦隊これくしょん」なんだけど、あのゲームもプレイヤーの分身になる「提督」の設定は全然出てきてないかな。ただ、性別に関して言えば、「艦隊これくしょん」はわりと最近実装されたキャラクターボイスで提督は男だって推察できる内容の発言があってザワザワしてたよ。

梨々:刀剣乱舞でも捉えようによっては審神者が女性かもしれない、と思わせるキャラクターの発言はいくつかあるよね。やっぱり女性向けゲームだから。それでも、公式では何も明言されてない。

千ゐ:というよりも、「好きに想像してほしい」というようなことを原作の方が言ってた。

梨々:なるほど。ということは、審神者については「固定した設定がほとんどないこと」が公式設定みたいな感じだね。

2,審神者はオリキャラとして創作しても原作の異物にならない

千ゐ:そんななか、ゲームの人気にそくして二次創作のほうも活発なわけだけど…。

梨々:刀剣乱舞の二次創作で特徴的なのは、やっぱり審神者が登場する二次創作が多いってことだよね。まあ、原作ゲーム内で描かれている関係の最たるものがそれだから当然の流れではあるんだけど。刀剣男士どうしのカップリング創作ももちろん多いけど、キャラどうしの関係は回想や特種会話くらいでしか確認できないからね…。

千ゐ:審神者絡みの二次創作、多いよね。でもって、審神者という存在自体が特殊な構造をもっているとすれば、審神者が登場する創作もまた二次創作において新機軸になるわけで…。従来の二次創作ジャンルの枠組みに当てはめるのってけっこう難しいと思う。

梨々:明確な設定がない以上、完全に原作内のキャラクターと同質の存在とは言い切れないし、かといって原作内に確かに存在している以上、完全なオリキャラとも言い切れない。そんな存在、滅多に他のジャンルにいるものじゃないからね。

【図1 二次創作における夢創作の審神者と創作審神者の立ち位置】*クリックで原寸

千ゐ:そうそう。審神者は原作キャラと同じように原作内で息をする存在として「原作で描かれている部分」がある一方、容姿なんかの個性がまったく加えられていない「原作で描かれていない部分」もある。

梨々:そうなるとつまり、刀剣男士と審神者の関係って「キャラとキャラとの関係」に類する側面と「キャラとオリキャラとの関係」という側面と、両方を併せ持っているような感じになるね。

千ゐ:そうなんだよね。だから審神者が登場する二次創作は、カップリングやオールキャラ創作の延長線上にあるものとして分類されるべきか、オリキャラ創作として分類されるべきか、という問題がまず出てくる。

梨々:あ~なるほど。でも、女性の二次創作が圧倒的に(キャラとキャラとの)カップリング創作に占められているなかで、原作キャラ且つオリキャラという性格を持った審神者の登場する二次創作が盛り上がっているのは、個人的には「オリキャラ創作が他のジャンルに比べてすごく盛んだな~」という印象だな。実際に審神者の「描かれてない部分」を膨らませた創作はすごく多い。

千ゐ:「創作審神者」というやつだね。多いよね、pixivのランキングでもいっぱい見かけるよ!

梨々:かつてこんなにオリキャラ創作が流行ったジャンルあったのかな?という…(笑)。

千ゐ:オリキャラ創作、あるにはあったよね。夢創作では。でも、刀剣乱舞で見るほどの流行は今まで盛り上がったジャンルでは見たことないかも。

梨々審神者の「原作に描かれていない部分」を膨らませてオリキャラ創作をするんだけど、その一方で「原作に描かれている部分」で審神者という立ち位置そのものについて誰もが前提を共有できるから、オリキャラ創作といっても全くの0から始めなくてもいい。書き手にとっても読み手にとっても、オリキャラを受け入れやすいジャンルというか。

千ゐ:そうそう。創作審神者は「前提の共有」という、書き手の生みだしたオリジナル要素を読み手に受け入れやすくさせるための土台みたいなものがあらかじめ備わっているんだよね。だから書き手が独自の要素を盛り込んだところで、審神者が完全な「原作世界の異物」にはならない。オリキャラを登場させた二次創作を嫌う人はよく「原作に異物いれてんじゃねーよ」って嫌悪感を示すけど、創作審神者の場合はそれを感じにくいから間口が広いのかも。

梨々:確かに。異物どころか、審神者は原作世界にとって絶対に不可欠な存在だからね。

3,夢創作は夢主創作だけじゃない!

千ゐ:だけどさ、さっき言ったみたいに、夢創作ではだいぶ前からオリキャラ創作的なものがあったじゃない?

梨々:うん、あった。以前出した考察本でも話題に出たけど、「(オリキャラ)夢主創作」というやつだね。

千ゐ:そうそう、夢主。今は「夢小説といえば夢主(創作)」と思っている人もたくさんいると思うし、現に創作の数としても多い。だからなのか、創作審神者を夢(主創作)っぽいと感じる人も少なくない。

梨々:まあ実際に夢サイトとか巡っていても刀剣乱舞で夢主創作している人の大多数が審神者を夢主にしているからね。審神者の「原作に描かれてない部分」を膨らませてオリキャラを作るという大枠の構造も同じだし。

千ゐ:そうなんだよ。だから創作審神者を夢っぽいと感じる人はすごく多いんだけど、その中には夢創作が苦手な人もいるから「住み分けしましょう!」という声があがってるんだよね。昨今だいぶ整理されてきたのかなって思うけど、まだまだ問題は勃発している。でも、そもそも創作審神者のスタンスと夢創作全体が共有しうるスタンスってかなり違うと思うんだけど。

梨々:正直、どちらにも詳しくない人間がはたから見ているとほとんど同じじゃないか?と思えるんだろうけど、たとえ構造として同じでも創作のスタンスや書き手の出自がかなり違う。

【図2 創作審神者と夢創作は何が違うんだろうの図】*クリックで原寸

千ゐ:そうなんだよね。でもこの図は内容的に今更感が強いかもね~(笑)。このあたりのことに言及してた人、他にもいたし。創作審神者の書き手さんのなかに「夢創作?なにそれ?」って人がけっこう多かったからだと思うんだけど。

梨々:そうなんだ!でも読み手の目線で考えると、特に審神者と刀剣男士が恋愛関係になるような内容の創作だったら、創作審神者を夢創作だと受け取る人も確かにいるかもなあ。別に「キャラとオリキャラの恋愛」がイコール夢創作の定義ではないのに。

千ゐ:その認識には「ゆめこうさつぶ!」として、異を唱えたいところだよね。さっきも似たようなこと言ったけど、読み手だけではなく書き手のなかにも、自分の創作が夢創作寄りなのか、創作審神者寄りなのか、決めかねている人は相当数いる印象。しかもそういう線引みたいなのを考えるのって、実際けっこうめんどくさい(笑)。あと、これだけ爆発的に流行ってるモンスタージャンルだと、刀剣乱舞で二次創作を始めた人とか、二次創作で初めてオリキャラを作ることになった人とか、なんなら「刀剣乱舞でオタクに目覚めました!」みたいな人も少なからずいると思うし。

梨々スタジオYOU主催の審神者オンリー「さにわ日和〜彼女の神託〜」でもサークル参加申し込みで創作審神者とドリーム審神者で分けられていたっていう話があったもんね。あれはどういう基準なの?

千ゐ:今は公式ホームページに基準が出てる。私たちの主張と食い違うのは「自分をモデルにした女審神者」がドリーム審神者に含まれることくらいかな。でもこれ最初は基準が発表されてなくて、プチパニックになってた。その後簡単に自分の創作を振り分けられるチャートを作った方が出てきて、TwitterのRTでけっこう回っていたよ。でもそのチャートが「叩かれたくないならとりあえず夢って言っておけ」的な内容で、夢創作愛好家としてはちょっと悲しかったなあ。夢創作界隈はただでさえ混沌としてるのにそんな乱暴に分類されたら更にわけが分からなくなるもん。保身としては最強なんだと思うけど。でも!!!

梨々:創作審神者に少しでも夢審神者っぽいものが混ざっていると嫌悪感を抱く人がいるから、叩かれたくないなら夢を名乗れ!ということなのか。でもその「夢審神者っぽさ」ってなんなんだろうね…。

千ゐ:個人の主観に依る部分が大きいから、「夢審神者っぽさ」という感覚だけでは分けがたいよね。それに、さっきも言ったけど、夢創作の中でも住み分けの問題ってあって、実はけっこうデリケートじゃん(図2(※原寸)の「そもそもの夢小説」と「夢主創作」の分類を参照)。私たちはその違いから夢小説が持つほんらいの構造を考えようとして、前に考察本を出したわけだし。

梨々:「夢主」と「ヒロイン」の嗜好差の問題はまた別にあるんだよね。そんななかで、刀剣乱舞の住み分け問題で取りざたされているのはオリキャラ創作に重なっている「夢主」のほうだけという…(笑)。

千ゐ:そうそう。「そもそもの夢小説」と「そこから派生した夢創作」があって、私たちは前者の愛好家なわけだけど、今、創作審神者との住み分けが問題になっているのは「そこから派生した夢創作」、つまり夢創作の「夢主創作」のほうだけ。ぶっちゃけ、われわれは蚊帳の外なんだよね!わはは!

梨々:ここにきて蚊帳の外宣言(笑)。

千ゐ:蚊帳の外のくせなんでこんなふうに話しているかといえば、「とりあえず夢にしておけ!」という大雑把な住み分けや分類の方法が出てくるところを見ると、「そもそもの夢小説」が持つ構造って「夢小説」の名前ほどには二次創作界隈で周知されてないんだなと思ったから。

梨々:うん。現状やっぱり夢小説を(オリキャラ)夢主創作だと認識している人が多いのかもしれないけど、「夢小説ってそれだけじゃないよ!」と主張することはほんらい夢小説が持っている特異性を守るためにも必要なことだよね。

4,書き手の自己投影はどんな創作にも発生しうる

梨々:でもね、今回こういう刀剣乱舞ジャンル内の住み分け問題が浮上したことで、刀剣乱舞というジャンルにとどまらず、二次創作全体のなかで夢小説が夢小説の外側からどんな創作として見られて、どんな創作としてレッテルを貼られているのか、ということが非常によく分かったというか。どうもやっぱり「自己投影」というワードが鍵になっているように思うんだよね。

千ゐ:そうだよね。今「夢審神者」の最たる特徴が「審神者に書き手の自己投影が含まれる」という点に置かれていて、その「書き手の自己投影」の有無が住み分けの基準としても使われていたりする。だけど、夢創作の内側にいる私たちから見ると、夢創作の本質はけっしてそこではない。だからその一点で定義して「それは夢創作です」と言われても、困る。こまる!!!

梨々:というか、「書き手の自己投影」っておそらくどんな創作形態においても発生しうることだと思うんだよね。ただ、仮に「書き手の自己投影」があったとしても、例えばカップリング創作なら書き手の自己はキャラに仮託されるから見えにくい。逆に夢創作の場合は「自分(書き手自身)も含めて誰にでもなりうる誰か」という名前変換対象に自己が仮託されるから、構造的に「自分」を隠しにくいんだよ。

千ゐ:そうだよね。何かを創作をして人格を生み出すときに、それがたとえ二次創作で、キャラクターが借り物だったとしても、「書き手の自己投影」って程度の差はあっても免れないことだと思う。だからこそ、同じキャラ、同じネタでも書く人によって味が生まれるわけで。

梨々:きっと「書き手の自己投影」が他の創作形態に比べて可視化されやすいという特徴が、夢創作が夢創作の外部から(ともすれば内部においても)嫌悪感を抱かれてしまう部分なのかなとは思うんだけど、どんな創作にも「書き手の自己投影」が付きまとう以上、夢小説の特異性をそこに求めることはできない。だから、「自己投影」を軸にして語るなら、むしろ夢小説の特徴って「読み手の自己投影」を想定しているかどうかなんじゃないかと思う。

千ゐ:なにしろ、夢小説、つまりドリーム小説のはじまりは、ある方が二次元のキャラが大好きだった友人のために、そのキャラと女性が恋愛する小説と、その女性の名前の部分を任意に変換できるスクリプト(名前変換機能)を書いて贈ったことだって言われてるみたいだし、夢小説黎明期のスローガンは「あなたの夢叶えてしんぜよう」であったわけだしね。

※夢小説の歴史についてはweb再録4,5p(リンク先PDF)に詳しいです

梨々起源を辿ってみても、夢小説は「わたし(=書き手)の夢」ではなくて、「あなた(=読み手)の夢」であるというところに眼目が置かれているということだよね。そこが夢小説の夢小説にしかない特徴だし、面白いところでもある。

千ゐ:つまり、「書き手の自己投影」があれば夢、という定義は誤解で、書き手が「あなた」、すなわち「読み手」の自己投影を想定した存在を提供して、読み手の夢を叶えることを目指す小説がそもそもの夢小説だったんだよ。とはいえ、読み手(あなた)の夢を叶えるってだいぶ傲慢というか、スゴイ言い回しだなとは思うけど…。

梨々:確かに(笑)。まあ、実際に黎明期には広まっていたスローガンだから…。

千ゐ:うん。まあ、だからこそ読み手にとっての夢小説は「ヒロイン=自分」の、「自分自身がヒロインに自己投影する小説」であり「キャラ×自分」の創作になる。そういうものを読んできた人たちが書き手に回ることになれば「キャラ×書き手」の創作が出てくるのは当然だよね。「あなたの夢叶えてしんぜよう」っていつごろからか言わなくなったし、「名前変換対象=読み手が自己投影するもの」ということを示唆できるものは長らく存在しなかった。だから、「名前変換対象=書き手」は生まれてしかるべき誤解でもあるんだよ。

梨々:あ~…「自分」という言葉の両義性がね…。それに「書き手の自己投影」だって他の創作と同じようにもちろんあるわけだしね。あるうえに前述したとおり剥きだしになってる可能性もある。それこそ「キャラ×自分」の「自分」のなかには至極ナチュラルに書き手も放りこまれうるわけだから…。

千ゐ:だからこそ最近、夢主が流行っているんだと思うんだよね。夢主の出てくる夢創作ってあんまり読み手が自己投影することは想定されてないと感じる。名前変換機能があればそもそもの夢小説性を最低限担保できると思うけど、今や名前変換機能さえも無かったりするし。

梨々「読み手の自己投影」を想定しているか否かという書き手の裁量を目に見えるかたちにしたのが「名前変換機能」という装置だったはずなのに……pixivには名前変換機能はないけど夢タグはあるものなあ。

千ゐ:まあ夢創作内での住み分け問題についてはWeb再録(PDF)に詳しく書いてあるし、今回の主眼ではないから、とりあえず置いておこう。

5,名前変換機能が夢主創作の夢創作性を担保する

梨々:名前変換の話題が出たからまた刀剣乱舞の住み分けの話題に戻るけど、刀剣乱舞ってキャラクターが審神者の名前を呼ばないから、結果として二次創作でも審神者の名前が登場しないものって多いよね。そうなると審神者の名前が登場して、且つ名前変換機能がついている場合はそれが夢創作だって分かりやすいけど、審神者の名前が登場しない場合は、夢審神者と創作審神者の線引きってすごく難しい気がする。

千ゐ:うん。だから、そういう場合にこそ「書き手が読み手の自己投影を想定して書いたもの」が夢創作である、という定義が生きてくるんだと思う。

梨々:なるほどね。でも、名前変換機能の有無で夢創作か否かを判断できないってことになるとさ、今まで「夢創作」の内部にあった夢主創作が厳密にはもはや夢創作にあてはまらないということになってしまうよね。夢主は個性も強くて設定にも凝っているし、そのままでは「読み手の自己投影」の器とは言えない。だからこそ名前変換機能だけが唯一の「読み手の自己投影を想定しています!」という証だったのに、その定義はもう使えないわけだから。

千ゐ:うーん…厳密な定義として使えないまでも名前変換機能が実装されていれば夢創作なんじゃないかな…名前変換機能は名前変換対象の設定が細かかろうがなんだろうが「読み手の自己投影を想定している」ということを端的に示すことのできる機能だから、それはそれで夢創作性を担保すると思う。ただ名前変換機能さえ無い作品が「夢創作」と名乗るとき、既存の「夢創作」と共有可能な、画一的な基準というのは持てないんじゃないかなあ。

梨々:「読み手の自己投影を想定している」という内実のみならず、形式すら備わってないということになるからね。

千ゐ:当たりまえだけど、創作物の内容や書き手の嗜好にいちゃもんをつけるなんて野暮なことする気は毛頭ないし、創作自体は自由に楽しんでやるべきだと思うんだけど、「読み手の自己投影を想定して書かれていない、名前変換機能すらない"夢小説"」となると、それにはもう「夢創作」って呼ぶよすがは無いかなって感じてしまう。重ねて言うけど創作活動って絶対的に自由に、好きに、やるべき。趣味なんだから尚更。それは間違いないんだけど、やっぱり、それに何らかの区分を持たせようと思ったときは、ゆらがない基準が必要だと思う。

梨々:住み分けの問題と創作形態の自由は全くバッティングしないからね。むしろみんなが気持ちよく自由に創作を楽しむためにこそ住み分けという考えがあるのだと思うし。ということで、ここで整理として今まで出てきた3つの創作形態を分類してみると、以下のような感じになるんじゃないかな。図2(※原寸)を簡易的に書きだしただけなんだけど。

●カップリング・一次創作が出自の「創作審神者」
(読み手の自己投影×)

●夢小説ジャンルにおける夢主創作が出自の「夢主審神者」
(読み手の自己投影△ ※名前変換機能だけが頼りという場合あり)

●「そもそもの夢小説」
(読み手の自己投影◎)

千ゐ:うんうん。

梨々でも「夢主審神者」って現実問題、審神者オンリーとかのイベント頒布だと紙媒体で作品を出すことになるから、名前変換機能をつけることって実質不可能だよね?

千ゐ:そうなんだよね。そうなると、夢主の名前を出さないとか、そういう工夫をするしかない。名前変換機能の代替として、つまり「読み手が自己投影するための配慮」として書き手が夢主の名前を出さないなら、それは夢創作だと言えると思う。

梨々:刀剣乱舞はむしろそれがやりやすいジャンルかもしれないね。「あるじ」って呼ばせればたいてい解決する。

千ゐ:あと、文章だけでなく夢絵・夢漫画という作品形態があるけど、夢絵・夢漫画がはじまったころのヒロインの描写って、一部の乙女ゲームにあるスチルみたいに顔がなかったり、その子の視界自体が構図やコマになってたりしたし、絵で工夫するならそういう描写になるのかな?容姿がはっきり出てて具体的に名前も呼ばれている作品に関しては、夢絵・夢漫画とは言ってもその夢性はどこにあるんだろうって個人的には感じる。

梨々読み手の自己投影を想定しているかどうかって考えると、してないよね。そもそもの夢小説から派生してでてきた夢主創作が、文章ならまだ名前変換機能をつけることで一応体裁は整うんだけど、絵となるとかなり難しい。名前も含め夢主の設定が事細かに決まっていたりしたら、何を基準にして夢なのかもはや分からない状態になっちゃうよね。創作審神者界隈の人にとっては内容や審神者の設定の中に何とも言えず「夢創作っぽい何か」を感じてそれに嫌悪を抱く人もいるのかもしれないけど、だからってそもそもの夢小説とはとうてい相容れない。

千ゐ:そうなんだよね。夢って呼ばれてる現状では夢創作の内部にあるのかもしれないけど、ほんらいの夢創作からは外れてしまっているように見える。もちろん、あえてここでの定義を使って住み分けをするならばという仮定の話をしているだけで、誰かの作品を否定する意図はけっしてないんだけれど。

梨々:現状どんなラベリングのもとにあろうと、二次創作として素晴らしいものはざくざくあるからね!

6,夢創作というより創作審神者に近しい「夢主審神者」もいる

梨々「創作審神者」「夢主審神者」「(そもそもの)夢小説」 この3つを全部しっかり住み分けられたらいちばん平和なんだろうな…でも夢絵・夢漫画のことを考えたら「そもそもの夢小説」が「夢」という冠を捨てるのがいちばん手っ取り早いんじゃないかと思う。「夢小説」ではなくて「名前変換小説」として生きていきたい…。

千ゐ:あ~「そもそもの夢小説」勢が「夢主創作」勢と住み分けするために「名前変換小説」を名乗るという提案ね。でも、サイトのほうだったかな?(※サイトの方でした)前にも言ったことあると思うけど、どうも「名前変換小説」っていう言葉の下にも「この名前変換対象(おそらく夢主的なもの)に読み手が自己投影するのは無理があるから夢とは名乗れないけど名前変換機能はあるので名前変換小説」って派閥と、「夢小説って呼ばれている話みたいにラブラブの恋愛は描いてないから夢小説じゃなくて名前変換小説」って派閥と、色々あるみたいなんだよね。ここも認識の擦り合わせはなかなか難しそう…。

梨々:うーん…難しい。夢絵・夢漫画のことを考えると名前変換機能がない場合、且つ書き手が「読み手の自己投影」を想定していない場合にそういう夢主審神者と創作審神者の線引きがどこにあるのかどんどん迷子になってくる。

千ゐ:夢絵・夢漫画に特に多く見受けられるような、名前変換ができなくて且つ「読み手の自己投影」を狙っていない夢主審神者は、夢創作というより創作審神者に近しいと思うよ。そこに線引きは存在しないんじゃないかなあ。特徴が同じだから、線の引きようがない。

梨々:えー!それでいいのかな(笑)。それがいちばんしっくりくるけど、確かに。

千ゐ:だって、カップリング創作の場合も読めるA×B作品と、受け付けないA×B作品があると思うし、っていうか私はある(笑)それと同じだよ。人によって、読める創作審神者作品と、受け付けない創作審神者作品があって全然おかしくない。そのぐらいの嗜好差が内包されることは許してもいいんじゃないかなあ創作審神者界隈の方は。でも現状そうじゃないんだよね。カップリング創作なら受け入れられる嗜好差がどうして受け入れられていないんだろう。

梨々:なんなんだろうね。やっぱり、「書き手の自己投影」が隠れてないというのが嫌悪の対象なのかな。カップリング創作なら、どんなに「書き手の自己投影」が生じていても「キャラクター」という隠れ蓑があるわけで、それさえあればAとBのキャラが多少崩壊しててもAとBでしかありえない。その定型を利用して「書き手の自己投影」をごまかせるけど、刀剣乱舞の審神者って半分は不定形だからね。「書き手の自己投影」を押しこめる型がなくて、カップリング創作や一次創作から移動してきて創作審神者界隈にいる人には受け入れがたいのかも。

千ゐ:プレイヤー=審神者だから、読み手も審神者=書き手って感じやすいしね。でも、まあこれは審神者だけじゃなくて創作全般に言えるんだけど「書き手が自分の作品のジャンル(たとえばA×B、創作審神者、夢審神者など)を主張している以上、読み手はそれに文句を言わない。その一方で好きに楽しむ」っていう世界が平和だという気がする。書き手自身が自分の創作をある程度正確に分類してラベリングできないといけないっていう前提はあるけど。

梨々:うん。それにやっぱり、「書き手の自己投影」がごまかせないからといってそれがイコール夢創作というわけではけっしてない。正直なところ、どんな創作形態にだって作者の自己投影が物語やキャラクターの人格を超え出て透けてしまっているような作品ってあるものだよ。一次創作にだってある。だからそういう創作が例えば創作審神者というジャンルの内部にあったって別にいいんだよね。というか、あるんだと思う。なぜそれをすべて夢創作にまとめあげようとするのかな。「夢」は何でも屋じゃない…。

千ゐ:「夢」も「夢」で大変だからね!長年カオスだからね!

梨々:そういう態度が、なんというか夢創作そのものを黒歴史化しようとするような女性の二次創作界隈における全体の流れにもつながっているような気がしてならないよ。

7,夢創作も原作キャラの「かもしれない」を描くひとつの方法

梨々:何度考えても、けっきょく私たちの立場からすると「夢主創作」の振り分けって難しいんだよね。刀剣乱舞の住み分けの問題においては創作審神者の界隈から夢主審神者は区別されるべき、という風潮だし実際に一定数は夢に振り分けられると思うんだけど、こうやって考えてみるとやっぱりもはや夢創作と呼べない「夢主創作」もいるような気がしてしまって…。

千ゐ:現実問題「"夢"主」、「(そもそもの)"夢"小説」ということで、「夢」という同じラベルを共有してしまっている以上、夢主創作はひとまず同じ分類「夢創作」として語るほかないんじゃないかな。

梨々:そうなんだよね。どうしても同じタグづけから逃れられない。だからもう私たち「そもそもの夢小説」勢が本当に住み分けたいなら、やっぱり「夢」という名前をみずから捨てないといけなくなってる

千ゐ:いやあ、でも既に分離は無理な気もする。「夢創作」の内部で「夢創作・原理主義派」、「夢創作・夢主創作派」で生きていくしかないのでは…。

梨々:せめて同じ「夢」の中で明確に住み分けられたら平和だよね。夢創作の「読み手の自己投影を想定している」というほんらいの特殊な構造を守るためにも。この構造があってこそ、読み手としても書き手としても満たされるものがあるんだよね。というかこの構造でしかわれわれの欲望は満たされない。

千ゐ:満たされない!

梨々:最初の図1(※原寸)に戻るけどさ、夢主創作における夢主って原作の「外側」から投入しているようなイメージがあるじゃない?だからこそ同じ夢主が複数のジャンルで登場するような創作が可能なわけで。

千ゐ:うん。

梨々:でも、原理主義…というか「そもそもの夢小説」を愛好している書き手ってたぶん、原作の「内側」に必死に名前変換対象を探しているんだよね。原作の内側にいて、原作に全く登場しない人。モブを炙りだそうとしてる。「読み手の自己投影」を想定している、というのも何も読み手だけに名前変換対象を寄せているわけではなく、「誰にでもなりうる誰か・誰でもない誰か」を探した先で、結果的に「読み手にもなりうる対象」が見つかるという仕組みなわけで。

千ゐ:うん…ほんとそれ。

梨々:この違いって、同じように「原作に描かれてない部分を妄想する」という二次創作だとしても、絶対に相容れない嗜好差が生まれていると思うんだよ。

千ゐ原理主義派は、原作の内側に名前変換対象に出来そうな立場を探しだしたら、その立場以上の設定を極力けずり落とすよね。刀剣乱舞だったら、その立場は例えば本丸の女中だったり、万屋の娘だったり。夢主創作派は、同じく女中や万屋の娘っていう立場を探し出すんだけど、そこに自分が考えた要素を入れ込むから、結果、キャラの立った女中や万屋の娘になったりするっていうのかな。あ、「設定をけずる」といってもどんな場合にも無個性で平凡なヒロインを立てるという意味ではなくて、原作やキャラにとって説得力のあるかたちでヒロインを立てるということなんだけど…。

梨々夢主創作は「夢主」が主役の演者になって、原作世界の中で役を演じているイメージだなあ。原作内に探しているのは彼女のための「役」であって、彼女自体は独立に息をしている。だから、刀剣乱舞の話で言えば「審神者」と夢主ってものすごく相性がいいんだよね。まさに夢主のための「役」になりうるから。でも原理主義の「ヒロイン」は、(原作にはけっして登場しないんだけど)まさにその世界において息をしているかもしれないようなモブの「存在」であって、原作世界の枠組みに依存して生きている。この違いは大きいと思う。

千ゐ:原作で進行している物語や関係性とバッティングしないように、あたかもことが原作世界で起きてるように見せたい。見せられたい。そう思うとやっぱり、モブの存在を求めてしまうんだよわれわれ原理主義者は!

梨々:そうそう、「原作のキャラがもしかしたら原作に描かれてない部分でこういう恋愛をしているかもしれない、こういう関係を築いているかもしれない」という「かもしれない」の可能性ってどんな二次創作形態でも追求できると思うんだけど、われわれにとってはモブの存在がその可能性の精度を何より高めてくれるものに思えるんだよね。

千ゐ:まあでもこの違いはあくまで嗜好差であって、明確な住み分けには使えないと思う。そういえば、前に夢主創作してる友人にいろいろ聞いてみたとき、夢主には「自分の欲望のほかにも、原作キャラに幸せになってもらうために必要な要素も入れている」ということを言っていた。たぶん人によっては逆に「原作キャラを不幸にしてみたい」とか、いわゆる不幸萌えみたいなものになったり、もっと別の目的になることもあるんだと思う。とにかく、夢主が存在するのは原作キャラに何らかの影響を及ぼすためで、「何らかの影響」っていうのが、いわば書き手自身が持つ原作キャラへの愛の形みたいなところがあるんじゃないかな。原理主義派は「原作キャラは日常をこんな風に過ごしているかもしれない」を追求するけど、夢主創作派は「この子(夢主)が原作キャラを○○(幸せ・不幸.etc)にする」の追求なのかも。

梨々:原作キャラに何らかの影響を及ぼすために不可欠な存在、という意味でも夢主は原作世界に深く介入してるんだよね。やっぱり「夢主」と「ヒロイン」は真逆の存在だなあ…ということで現状「夢創作」という同じジャンルに180度違うといっても過言ではない嗜好を持った創作が同居してる…って、けっきょくなんだか刀剣乱舞と関係ない話題になってしまったけど(笑)。

千ゐ:これ以上はやめとこう!!それはweb再録にまかせよう!!あの時さんざんやった!!(笑) 2年も前に出した本だから今見ると主張がブラッシュアップされてないところもあるけど!

梨々:そうだね!(笑) だいぶ煮詰まってきたし、そろそろおひらきにしようか。

千ゐ:改めて振り返ると、わりとしっちゃかめっちゃかだけどね!(笑)言いたいことが多すぎた…。とりあえず今回の結論としては、夢創作を内側から眺めたとき、夢創作には「読み手の自己投影を想定して作られている」という特徴がある。この特徴を線引きとして刀剣乱舞の住み分け問題について考えると、「審神者への書き手の自己投影がある」という定義では夢創作を括れない。だから、たとえ創作審神者作品に「審神者への書き手の自己投影がある」作品があっても「読み手の自己投影」が想定されてないのならばそれを夢創作だと定義することはできないのではないか。こういう話だったんじゃないかな!?

梨々:名前変換機能の有無という明確な基準が設けられない場合はそれがいいよね。あと何度も言うけど「書き手の自己投影」はどんなジャンルの、どんな創作形態にも発生している。キャラクターにそれを仮託しない、できないという構造を持つ夢創作ではそれが可視化されやすいだけで、何も夢創作だけの問題ではないからね。

千ゐ:そう。だから「書き手の自己投影がある夢創作はイタい!」みたいなよくある主張はナンセンスだと思う。

梨々:あと最後に、本のほうでも言ったけど、私はキャラクターに「書き手の自己投影」を託せないという構造にこそ夢小説の本質的な面白さを感じるというか、その「隠すことができない」というある種の困難を、キャラや原作に己れの自己投影を「隠さない」という誠実さに読み換えることもできると思ってる。そういうところも含めて、私は原作やキャラクターを解釈する手段としてもやっぱり夢小説に魅力を感じるよ!

千ゐ:われわれ根っからのドリーマーだからね!

【対談】創作審神者・夢審神者の自己投影論争 ― 了

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